田根:結果的にまだあれがどうだったのか・・・、一生懸命やったので何回かもう無理かもしれないと思って投げ出しそうになったり、これでいいやと思って諦めたり、かなりストレスを感じながら、それでも2か所でやっていました。オペラシティではあんなに大きい空間で、しかも最初は何を見せればいいのかというところからやっていたので、やっていってある程度形になってきて見えてきたというところで、ギャラ間は自分達でやってきたことを見せようと思っていたんですけど、過去の他の建築家の方々の展覧会をもう1回見直した時に寒気がしました。

芦澤:ははは。

田根:中途半端なことをやったら本当に失礼というか、チャンスを貰えたのに何にもチャレンジしていないのではないかと。事務所のアーカイブをを持ってきたくらいでは怒られるのではないかと思って、途中から火がついて、ギャラ間の方をやりました。多分10年くらい経った時に展覧会をやったからこそ、今のこの地点まで引き上げてくれたような分は、今まで展覧会の会場構成をやらせてもらっていたおかげだと感じています。

芦澤:アートの展覧会とはやはり違う風に捉えていますかね?

田根:そうですね。やはり建築展の良いところはものではなくて、時代をつくることだと思っています。思想とか意思とか未来とか可能性を目の当たりにできるところ、出来ていない未完のプロジェクトもそれがもしかしたらいつかは出来るかもしれないと急に夢に変わっていったりする、石上さんのカルティエの展覧会もそうだったんですけど、すごく勇気をもらう感じなんですね。そういう意味では新規性というか、新しいものを作るような石上さんのスタイルのように、自分自身もまた違うアプローチですが、たくさんの研究をしたことによって発見したものが実は世界を変えるかもしれない、といったことを少しでも伝えたいというのがあったという意味では、建築展の良いところはそういうところかなと思っていますね。

芦澤:本も書けそうですね。

田根:そうですね。作品集は渾身の思いを込めて作ったので、是非ご覧いただけると、はい。10年分の編集は自分でやって、デザイナーの方も関わってくださったんです。弘前の美術館を今やっています。今朝も弘前に行って現場も見てきたのですが、17年にコンペがあって、2020年の4月11日にオープンとようやく発表されました。この弘前の美術館は、当時建設されていた頃の写真が残っていたんです。

平沼:良い写真ですね。

田根:弘前の町中のいわゆるレンガ建築ですね。明治期や大正時代には日本でたくさん作られたんですが、もはやレンガで作られた組積の建築というのは耐震の問題もあって、もう作る事は出来ないと。むしろ危ないから壊されるという現状が多かったんですが弘前も同様で、酒造メーカーが撤退されてからずっと使われないまま残っていました。これを壊してしまうのは簡単だったんですが、弘前市はこれを美術館にしようという思い切った決定をしました。とはいえ倉庫だったものをどうやって美術館にするかと。20世紀の美術館というのは、インスティテューションとして、まずコレクションを持っているからこういう美術館である、というのが非常に信用として大事。一方でただコレクションを持っているだけではなくてそれを公開するというエキシビションがあって、それで同時にただ展示しているだけでなく、集めたもの古いものをコレクションしながらコンサベーションとして保存しながら未来に残るような仕組みを考えて研究したり調べたりということも大事なミュージアムの役割であると。19世紀以降のミュージアムというのはこういうものだったんですが、21世紀に入り、ただ集めて公開しているだけ、または研究を学芸員がしているだけではなかなか良い美術館になれなくなってきた。そこは多分コミュニケーションというもう1つの課題がミュージアムに出てきたのではないか。キュレーターが最近ミュージアムにとって非常に重要な役割を持っていたり、ただの館で展示や公開をしているだけではなくて、そこでイベント性という、そこでしか見られないインスタレーションのような展示をしたり、非常にサイトスペシフィックなその時その場所でしか体験することができないものや、それがただその場で起きるだけではなくインターネットで情報として拡散されることによってシェアされ、世界の反対側で起きたことも瞬く間に日本に届いたりする。このようにミュージアムの役割が大分変わってきたのではないかということを、コレクションのない倉庫の美術館を使ってやっていこうということが始まりでした。

>>続きへ


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | NEXT